朝、普段と変わらぬ時刻の目覚ましの音に目を覚ました私はとりあえずいつも通り洗顔や歯磨きを済ませると、ふと今日が休日であることに気付いた。いつの頃からか祝日のいくつかが週末を絡めた月曜日になったことにより月曜日の祝日が増えたのである。そして今日がその月曜日なのである。私が休日であることに気付いたというのは別に忘れていたということではなく、目覚ましの音に反射的に飛び起きてしまい、その流れで洗顔等をしてしまったことに対してもう少し寝ていても良かったのになぁと思ったからである。何故私が休日であることを忘れていたわけではないと言い切れるのかというと、普段の私は目覚ましが鳴るまで寝ていることがなく、先に起きて鳴るのを待つというのが私の日課だからである。つまり、私が休日でると認識していたからこそ目覚ましが鳴るまで寝ていたのである。だったら、その時点で気付きそうなものなのだが、日々の習慣がそうさせてしまうのか、それともこれが人であるがゆえの行動なのかはわからないが、全くもって間が抜けている。起きてから洗顔をするまでの間に一呼吸する間があったなら必ずその時に気付けたはずなのである。要するに、文字通りの間抜けということである。
【早起きは三文の徳】
などというが、自分の間抜けさに気付くことも何かの徳ということなのであろうか。まっ、少し間が抜けているくらいが人間らしいといえばそうかもしれない。とはいえ、休日の早朝からこんなことを考えている人がいるのだろうか、いや、早起きをしたからこそ考えているのだ。だとすると、やはり何らかの徳を積んだことになるのだろうか。私は畳んだ布団を押し入れにしまいながら、
「どうでもいいか」
と、元も子もないことを呟いた。休日なのでもう少し寝るかとも思ったのだが、年齢のせいか一度起きてしまったら、ましてや、歯磨きまでしてしまっては寝ようにも寝られないのである。私は部屋のいつもの位置に座りテレビを点けた。特に見たい番組があるというわけではないのでチャンネルはどこでも良く、そんなテレビの画面を見るでもなく何となく眺めながら呆けていた。どれくらいの時間そうしていたのかわからないが、ふと我に返った私はせっかく早起きをしたのだから散歩にでも出かけてみようと思い、着替えをして家を出た。私は近くを流れる川沿いの遊歩道を歩いてみようと思い、川の方向に向かって歩き出した。その川には氾濫防止の為の土手が築かれており、その土手の上が遊歩道となっているのである。遊歩道に着いた頃には早朝には少し遅い時間になっていたが、それでもまだ周囲の大気には透明感があり、爽やかさの残る時間である。土手の上にはヒューヒューという音が聞こえるか聞こえないか程度に風が吹いていて、優しく私の頬を撫でていき、土手に生い茂る草草をサラサラと揺らしていた。川の水はお世辞にも綺麗とは言えないが、川面というか、川面に限らず水面を眺めていると和むというか、何となく癒される感覚があり、どことなく懐かしさのようなものを感じるのである。川の流れはゆっくりで小さな波が規則正しく等間隔で立っていて、魚が水面っを叩くのかところどころに波紋が立ったりして、時折ザブン、ザブンという音を立てている。近くで見ている分には紛れもない川の流れなのだが、少し引いて見方を変えてみるとそれはまるで一匹の大きな生物がゆっくりと動いているように思える。水面に立つ波が鱗のようである。その時私は思った。あの空想上の生物、そう龍はこのような川の流れがそのように見えたのではないかと。それくらい川の流れには生命感があるのである。龍が空想上の生物というのは私の思い込みで、実際には恐竜のように遠い過去には実在していたのだろうか。もしそうであるならば、それは一つの浪漫だと思う。人々にとって龍とは一体どんな存在なのだろう。おそらく神聖なものであることには違いないと思うのだが、神という存在ではないと思う。そんなことを思いながら川面を眺めていると、ある歌の一節が頭をよぎった。
「銀の龍の背に乗って」
もしかしたら私も乗れるのではないかと、私は川面に吸い寄せられるように近づて行った。その先がもう川というところでどこからともなく声が聞こえた。
「旦那、お気をつけくだせぇよ。その先は川ですぜい」
その声に我に返った私はすんでのところで踏みとどまり、川に落ちずに済んだのである。私はその声の主を探すように周囲を見渡したが、そこには誰の姿もなく、春の訪れを告げる香りを運ぶ優しい風が吹くばかりであった。フンッ、フンッ、と私は鼻を鳴らし、ちょっと待てよ、この川独特のどぶのような匂いが春の訪れを告げる匂いなのか、まさかな。春の匂いってどんな匂いだ。それにしても、どこの誰かはわからないが、あの声のおかげで命拾いをしたぜ。こうやってみんな川に落ちちまうんだな。あぶねぇ、あぶねぇ、冷静に考えみればどう見たって銀じゃぁねぇもんな。こういう色をなんていうのか、灰茶色、グレーブラウン。いや、ダークグレーブラウンか。この小汚ぇ川の色も横文字にするとなんとなくカッコよく聞こえちまうんだから、何でもかんでも横文字にしたがるのも少しわかるような気もする。しかし、不思議なものでただ川の流れを見ているだけなのに、一向に飽きるということがないのは何故だ。少し春めいてきて過ごしやすくはなってきたが、まだ肌寒く、吹く風は冷たい。冷たいが、その冷たさが朝の清々しさに磨きをかけている。たまにはこういう時間を過ごすのもいいものだななどと思いながら、普段の休日に私は何をしているのかと考えてみた。私は独り者のうえに、これといった趣味もなく、休日だからといって特にすることもないので、何をしているかと思い返してみても何も思い当たることがない。私はつい、
「えっ、何もしてない」
と、声に出して言ってしまった。あまりにも思い当たることがないので、とりあえず先週の休日には何をしていたのかを私は本気で考えてみた。全く思い出せない。ちょっと待てよ、これはまずいのではないか。本当に何もしていなかったということか。そんなはずはない、何かしていたはずだ。しかし、何も思い出せないということは、何かしていたとしても思い出せないくらいどうでもいいことをしていたということなのだろうか。時間とはおそらく唯一誰にでも平等に与えられているものだと思う。そんな時間をそんな過ごし方で良いのだろうか。その時不意にパシャンという音を立てて魚が跳ねた。その音で私は我に返り、ふぅー、と少し長いため息をついて苦笑した。まるであの魚に、
「そんなことを考えていたらせっかくの時間が台無しだぜ。それこそ、時間の過ごし方を間違ってるってもんだ」
と言われているようであった。こうして飽きつ川面を眺めていると、いつの間にか日が西へと傾いていて、その空は下から上に向かってオレンジから夜の空の色へと境目のないグラデーションを奏でている。って、待てよ、私がこの遊歩道に来たのがまだ早朝の清々しさの残る時間で、今は既に辺りは夜の気配に包まれている。えっ、昼間の時間は。どういうことだ、こんなことあるのか。昼間の時間がすっぽり抜け落ちている。まっ、いっか。それにしても、昼間の時間が抜け落ちているなんて、全くもってタイパが悪ぃぜ。でもあれか、タイパは悪いが昼間の時間が抜けてるならコスパはいいんじゃねぇ。ということは、これでプラマイゼロってことか。つまり、この休日も何もしていないってことか。なんだかねぇ。タイパ、コスパなどということを考えていたら、ある歌(短歌)を思い出した。
『世の中が タイパコスパと 流れてく 早き流れに 我無くしけり』
これは確か飛鳥時代の歌だったか、詠み人は柿本のなんとやらって人だったか。昔の人ってのは本当にいい歌を詠むぜ。それにしても、飛鳥時代にタイパやコスパなんて言葉があったとは驚きだぜ。たまには歴史を振り返ってみると、新しい発見があるのかもしれねぇな。これこそまさに温故知新だぜ。そんなことを考えながら私は帰路についた。何はともあれ、これからが本当の私の時間です。
皆様もたまには散歩に出かけてみてはいかがでしょうか。それでは失礼いたします。
あっ、くれぐれも龍の背になど乗ろうとしないようにお気を付けください。
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